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3月の絵と詩 [笈川小百合さんの絵]

      
          3月の詩
                         
            私は 春の妖精

            南の方から はるばると

            春を 届けに来たのです

            仲間も たくさん一緒です

            私は どこにいるかって

            菜の花畑を 飛んでます

             あなたが来るのを待ってます


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2月の絵と詩 [笈川小百合さんの絵]

              
2月の詩

          大きな 大きな 樹の下で

           仔犬が プルンとふるえます

          冷たい雨が 降ってます

          思わず 傘をさしかけて

          そっと 頭をなでました
        
          仔犬は 私の眼を見つめ

          クーンとかぼそくなきました


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1月の絵と詩 [笈川小百合さんの絵]





        1月の詩

         雪のつもった 夜のこと

         こんな夢を 見たのです

         野原いちめん 雪でした

         雪の子どもが 降りてきて

         私の耳に 触れました

         それから 小声で言いました

         「あなたに会いにきたのよ」と


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息子の一言 [介護日記]

兄の死で、母の退院の日が延び延びになっていたが、先月の27日に無事に退院できた。前日の26日は、翌日の退院に備えて、布団を干したり、シーツを替えたり、空になっている冷蔵庫に食べ物を補充するために実家に出かけた。そしたら、冷蔵庫以外のことはすべて前日に弟がやっておいてくれたので、病院と実家を一往復するだけの短い時間ですんだ(もっとも、台所の流しがずっと使っていなかったせいか詰まってしまっていて、それを開通させるための時間は取られたが)。

病院に着いたら、母から、上の弟から下の弟に対して文句の電話があったことを聞かされた。
「退院できるのに、いつまでお母さんを病院に置いておくんだ!」という内容だっという。
言うまでもないことだが、上の弟の電話で、つらい立場に立たされたのは母だった。
そうは言いながらも、退院に際して積極的に動いてくれない同居家族である下の弟夫婦に対して、母が不満を持っていることは読み取れた。

すでに、私は下の弟に対しては何を言っても、母にいやな思いをさせるだけだということは学んでいたので、自分のやるべきことを淡々とやろうと思っていた。

そこで、26日は荷物の持ち帰りなどの退院の下準備(夫が車を運転してくれたが)、27日は退院の付き添いと夜までの介護、28日だけをヘルパーさんにお願いして、29日、30日と丸一日、母の所に通うことに決めていた。
病院ではベッドで寝ている時間が大部分だったし、「痛い、痛い」と盛んに訴えていたので、家に帰ってすぐに普通の生活をするのは無理だと思ったからだ。

退院して家に着いたのは午後2時半頃だった。その日は、私の分も含めて母の夕食の支度をし、食事を共にし、後片づけもすませて母の家を出たのが7時半頃だった。
その時点で、お嫁さんは長男の高校の父母会に出席していて留守で、父母会の後は、いつもお茶飲みがあって帰宅が遅いとは聞いてはいたのだが、私は「それにしても、今日は退院の日なんだし」と思ってしまった。

翌日、退院後の様子が気になって母に電話をしたら、お嫁さんが帰って来たのは8時半位だったという。そして、その日、50日間も入院して家を空けていたのに、弟もお嫁さんも顔を見せずに、「お帰りなさい」の一言もなかったと言う。
私は不満だった。母にとってもきつかったに違いないと思った。

そのことを、自宅に帰って息子に話したら、「○○ちゃん(弟夫婦の長男のこと)が大学受験で大変なときで、おじさんもおばさんも余裕がないんじゃないの。お母さんだって、ぼくが中学受験で大変だったときに、おばあちゃん(同じ敷地内に住んでいた夫の母親)どころじゃなかったでしょ」と言われてしまった。
息子の言うとおりだった。
私に、弟夫婦のことをとやかく言う資格はないのだと思ったら、かえって気持ちがすっきりした。


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12月の絵と詩 [笈川小百合さんの絵]

                12月の詩

           ト ロトロ燃えてる 暖炉の火

           なんだか とってもいい香り

           ママの作った パンケーキ

           世界でいちばん おいしいよ

           私は お腹がペコペコよ

           あなたは

           ちょっぴりねむたそう


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不幸は突然に [私のこと]

前回、私がブログを更新したのは11月16日の午前零時過ぎだった。それからすぐに寝て、起きたらひととおりの家事を済ませて、午後からは母の病院に行った。すると、担当の医師から話があるということでお嫁さんも呼ばれて来ていた。
先生は私たちに向かって、「もう、病院でやることもないので、明日でも明後日でもいつでも退院してよいです」と言った。母を含めて私も義妹も退院はかなり先になると思っていたので、先生の言葉は意外だった。
義妹はここ1週間は忙しくて受け入れ態勢が出来ないとのことで、相談の結果、私が付き添うということで母の退院の日が、21日と決まった。

義妹との打ち合わせもあって、通常より家に帰宅する時間が遅くなり、遅めの夕食をすませて、ブログをチェックしたらコメントをくださった方がいたので、返事を書いたのが午後10時頃だった。それから、お風呂に入って布団に入ったのが午前零時頃だったと思う。寝入る間もなく玄関のチャイムの音で目が覚めた。
「こんな時間に一体誰が!」と一瞬思ったが、すぐに飛び起きた。同じ敷地内に住む夫の兄の身に何か起きたに違いないと思ったからだ。

「お父さんの容態が急変して」という姪の言葉を受けて、義姉と2人の姪、それに夫と私、息子も加わって、義兄の入院している病院にそれぞれの車で向かった。
病院に着いたのが、17 日の零時半。だが、すでに兄は帰らぬ人になっていた。

昨年の3月、義兄は68歳で会社を退職し、その直後に肺がんが見つかったのだが、診断では初期の初期ということで放射線治療でガンは消失したと聞かされていた。
実際に義兄は元気そうだったし、退職後に造園デザイナーに依頼して造ったテーマパークのようになった自宅の庭で、木や花々の世話をするのを日課として楽しんでいた。
かねてからやりたいと思っていたことを、カルチャーセンターで学び始めてもいた。

私と夫が、兄のガンが全身に転移していて、余命1ヶ月だと知ったのは、義兄が通院していたそれまでの病院ではなく、ホスピス的な病院に入院した11月の初旬のことだった。義兄の家族がそれを知ったのもほぼ同時期だったという。
医師の説明では兄のガンは治療中に血液に入って、肝臓、脊髄、それから頭へと転移していったという。

初めて、夫と一緒に兄を病院に見舞ったのは12日のことだったが、その時も元気とまではいかなかったが、しっかりしていたので、医師に余命1ヶ月なんて決めつけてほしくないと思ったし、可能性だってきっとあるはずだと思っていた。
もしも、別れの時がやってくるにしても、だんだんと悪くなっていく兄の様子を義姉の家族と共に枕元で見守りながら見送ることになると思っていた。
それなりの心の準備はできるだろうと漠然と考えていた。

これまでにも経験してきたことだけど、不幸というものは何の前触れもなく、足音もたてずに突然にやってくるものだと実感して、虚しくなった。
義兄とは同じ敷地内で30年以上も顔を合わせ、義姉共々仲良くやってきたので、夫はもちろんだが、私のショックも大きかった。

葬儀も終わり、2週間経った今も、兄の死はあまりにも突然で信じられない。
博学で、包容力があって頼りになる義兄のことが、私は大好きだった。


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いじめ問題に思う [事件・ニュース]

いじめが原因と思われる子どもの自殺が連鎖的に起きている。

痛ましい事件が報道される度ごとに、私はいつも割り切れないものを感じている。
自ら命を断った子どもに対して、責任の所在が誰にあるのかが真っ先に問題にされる点についてだ。
いじめの加害者が悪いのは当然だとしても、いじめに気がつかなかった担任の先生(気づいていても何の対応もしない場合もあるが)が悪かったのか、あるいは校長が悪かったのか、教育委員会が悪かったかなどということを問題にするが、そこを問題にして誰が救われるのかと思ってしまう。

同様のことは、親に虐待されて亡くなった子どもに対しても当てはまる。児童相談所の対応が適切でなかったとか、鬼のような母親だとか言って、その母親の生まれや育ち、経歴などをこれでもかこれでもかというように、テレビは映し続ける。

そのどちらにも言えることだが、そこには不幸な死に方をした子どもに対する、大人としての謝罪の気持ちが読み取れないと感じるのは、私だけだろうか。
多少なりとも、その子どもと面識があったり、接したりしたことがある大人なら、社会や世間に対してではなくて、死を選ぶことしかできなかった、または殺されなければならなかった当の子どもに対して、「つらかったね。気づいてやれないで、何にもしてあげられないでごめんね」と心の底から謝るのが、まず第一になされるべきことなのではないかという気がするのだが……。

そういうことが出来ない大人に対して、いじめられている子が助けを求めたり、いじめている子が「いじめをやめるように」と言われても、「はい、わかりました」と素直に言うことを聞くとは到底思えない。

この前、テレビを見ていたら、日本子どもソーシャルワーク協会の寺出壽美子理事長が、「いじめる子、いじめられる子自身が選んだ大人が双方の話をよく聞いて、それで解決していく」という趣旨のことを話されていたが、その通りだと思った。

私たち大人は、特に子どもに関わる仕事をしている大人は、子どもから選ばれる大人になるように、努力することが大切なのではないかと思う。
少なくとも、子どものことが大事だといいながら、実は自分のことしか考えていない大人や、平気で嘘をつく大人には、子どもは決して心を開いてくれないのではないだろうから。


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公立中学の部活動 [個別指導]

昨日の新聞に「日本の学校で問題だと思うのは、運動部の部活動」という記事が載っていたが、何人かの生徒と接したなかで、私もずっとそう思っていた。

現在、私の家に来ている生徒は部活動が大変で疲れ切っている。部活が終って自宅に帰るのはいつも6時半位で、土曜日も日曜日も、祝日も関係なく部活はある。

気力も体力も十分とはいえない彼女は、勉強机に向かうや否や居眠りをしてしまうことがよくある。そんな時は、教えても頭に入っていかないので、いつもは休憩時間に出すお茶とお菓子を先に出して、気分を変えてから始めることにしている。

彼女の母親が、練習日や練習時間をもう少し減らしてもらえないかと顧問の先生に申し出たところ、「休みたければいつでも休んでいいですよ。しかし、他の生徒は部活もちゃんとやって、それでいい成績も取っているのですから」と言われてしまったらしい(彼女が休むと人数が足りなくなって、試合にも出られなくなるので、実際には休めないのだが。熱があっても日曜日の試合に出て行ったことがあったくらいだから)。

社会に出たら、あれもこれもやらなければならないというケースは多々あるのだから、部活と勉強を両立させるくらい何ということはないだろう、というのがその先生の論理らしい。

確かに、先生が言うように、土曜、日曜もなく、放課後も毎日夜遅くまで練習して、学年でトップの成績を取る子も中にはいるだろう。
よくやれるなと思う。

けれど、私の家に来ている生徒は、気力も体力もそんなにある子ではないし、休みがほとんどないのは、ふつうの体力の子にとってもきついのではないかと思う。
また、うまく両立させている子がいるにしても、かなり無理をしているのが実情ではないだろうか。
「そんなに頑張らなくてもいいのに」と言ってあげたくなる(この考え方は、おそらく父親ではなく母親の考え方だと思うが……母親が甘やかすから、子どもがだめになるのだという、権威主義的な男性の声も聞こえてきそうな気もするが)。

新聞記事のピーター・フランクルさんは、「今の日本の部活動は中毒」と言っているが、よくぞ、言ってくれたと思う。度を超えた部活動を腹立たしく思っているからだ。

そして、部活動から帰った子どもたちは、夕食もそこそこに今度は塾に出かけて行く。
こんな余裕のない生活を送っていたらストレスがたまるのも不思議ではない。
今の公立の中学生は忙しすぎる。そんな部活動をするのがいやで、もう少し部活動がゆるやかな私立の中学に行く子がいるのも頷ける話だ。


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半分万歳 [介護日記]

10日程度ですむと思っていた母の入院生活が長引いて明後日で1ヶ月になる。入院して数日後には吐いたり、下痢したり、食欲が全くなくなったりして、口から食べることが出来なくなり、1週間余りにわたって点滴で栄養を摂っていた。

そのために、家から持って行った薬も飲めなくなり(母の入院した病院は、入院患者には薬を処方していなくて、家で飲んでいた薬を引き続き飲むことになっていた)、必然的にうつ病の薬も10日間ほど中断していた。

薬を飲まないことによる支障はすぐに表れた。まず、艶のよかった母の顔色がどんよりと曇り、痛みの部位が次々に移動し、目に光がなくなって、生きる力が急激に弱まっているのが感じられた。
私はすごく心配だったし、不安にもなったので、その週は根詰めて病院に通った。

以前に比べれば、母のうつ病はずいぶんよくなってきていたし、これなら薬はやめてもよいのではないかと思っていた矢先のことだったので、ショックも受けた。

幸いなことに点滴が取れて、再び薬を飲むようになると、母は目に見えてよくなってきた。
ベッドから起き上がることが出来ずに、このまま寝たきりになってしまったらどうしようと密かに心配もしていたのだが、付き添いは必要なものの、今日は歩行器でトイレまで行けるようになった。
さらに、用を足した後は、歩行器で少し歩く練習がしたいとまで言い出した。

うつ病になる前の前向きな母の姿がそこにはあった。
よかった、と思った。

それでも、手放しでは喜べない。
人生はいつだって、半分しか万歳はできないのだから。


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11月の絵と詩 [笈川小百合さんの絵]

11月の詩

森は そろそろ冬じたく

うさぎの親子が 身をよせて

何を おしゃべりしているの

二ひきの りすは

木の実をかじり

なんだか とれもうれしそう

あなたと一緒に 木の枝で

愉しいお話してみたい


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