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大学受験で学力がアップしない生徒 [個別指導]

今年からは大学全入時代と言われているが、受験科目の多い国立大学や医師薬系、人気のある大学となると、やはり相当の学力がないと合格するのは難しいというのが実状だろう。

そこで、これまでの私の経験からズバリ言ってしまえば、自己学習力が問われるこの時期になっても、まだ、「やる気」と「学習習慣」がない生徒は、勉強量も多く、質も高度な大学受験に太刀打ちすることはできないのではないかと思っている。

一概にやる気といっても程度があって、教える側から見るとやる気があるようには見えないのだが、生徒本人にしてみれば「やっているのに」と思っているようなやる気もある。
ここが生徒とのギャップになるのだが、私がここでいう「やる気」とは、本気のやる気である。
それは、机に何時間も漫然と向かっているということではなくて、中身の問題である。例えば、時間内にどれだけのことを覚えたか、自分が今日やった内容を人に説明することができるか、または、自分の頭をフル回転させて問題を解いたか、さらには間違えたところこそ財産だと思って、弱点ノートなどを作って補強しているかといったように、勉強に向かう姿勢と言い換えてもいいかもしれない。

また、精神面でいえば、教師に甘い言葉をかけられたり、ほめられたり、きめ細かくチェックしてもらえばやる気がでるが、ちょっと厳しいことを言われたり、自立を促すようなことを言われたりすると、途端に自信をなくして、やる気をなくす生徒も、成績アップはなかなか期待できない。
そこが、まだ子どもである小学生のする中学受験と違うところで、大学受験生なら、もう少し大人になってもらわなければ困るのである。

学習習慣がついていなくて、やる気のない生徒に「本気でやるように」と注意しても、これまで本気でやったことがない生徒は、本気でやるということがどういうことかわかっていない。
少なくとも、出された宿題をやってこなくて、私に謝るような生徒は、中学受験の小学生ならまだしも、大学受験生では話にならないというのが、本当のところだ。
こういう生徒は、塾にたくさんの授業料を払うより、大学に行くことをあきらめるか、入りたい大学をあきらめて、入れる大学に行ったほうがいいのでは、と教える側が悩んでしまう。

もう一つ、学習習慣があるか、ないかも大学受験には大きく作用する。これまでの学習習慣のつけが大学受験に集約されて表れるわけだから、そこで基礎学力のない生徒が大学受験を目指すとなると、中途半端なやる気ではとても合格を勝ち取ることが出来なくなる。やる気はイマイチだが大学には行きたい、勉強習慣がついてないので勉強すること自体が苦痛だ、あるいはやる気があるのは親だけというケースもある。

そうは言いながら、私は出来る生徒を教えるよりも、基礎学力のついていない生徒を教えるほうが好きなのだが、それも国語だからというのもあるのかもしれない。
国語という科目が、量より質の部分が多いことと(ある時期から量も必要にはなってくるが)、生徒一人ひとりに合わせた個別指導が最も適した科目だから、というのもある。
集団指導の塾では伸びない子どもも、自分だけに向けられた教師の説明の言葉は、他人事ではなくきちんと自分の耳に入って行くようなのだ。

いずれにしても、基礎学力の不足している生徒は、中学受験でも高校受験でも大学受験でも、受験準備は国語力をつけることから始めるのが効果的だと思っている。


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公立中学の部活動 [個別指導]

昨日の新聞に「日本の学校で問題だと思うのは、運動部の部活動」という記事が載っていたが、何人かの生徒と接したなかで、私もずっとそう思っていた。

現在、私の家に来ている生徒は部活動が大変で疲れ切っている。部活が終って自宅に帰るのはいつも6時半位で、土曜日も日曜日も、祝日も関係なく部活はある。

気力も体力も十分とはいえない彼女は、勉強机に向かうや否や居眠りをしてしまうことがよくある。そんな時は、教えても頭に入っていかないので、いつもは休憩時間に出すお茶とお菓子を先に出して、気分を変えてから始めることにしている。

彼女の母親が、練習日や練習時間をもう少し減らしてもらえないかと顧問の先生に申し出たところ、「休みたければいつでも休んでいいですよ。しかし、他の生徒は部活もちゃんとやって、それでいい成績も取っているのですから」と言われてしまったらしい(彼女が休むと人数が足りなくなって、試合にも出られなくなるので、実際には休めないのだが。熱があっても日曜日の試合に出て行ったことがあったくらいだから)。

社会に出たら、あれもこれもやらなければならないというケースは多々あるのだから、部活と勉強を両立させるくらい何ということはないだろう、というのがその先生の論理らしい。

確かに、先生が言うように、土曜、日曜もなく、放課後も毎日夜遅くまで練習して、学年でトップの成績を取る子も中にはいるだろう。
よくやれるなと思う。

けれど、私の家に来ている生徒は、気力も体力もそんなにある子ではないし、休みがほとんどないのは、ふつうの体力の子にとってもきついのではないかと思う。
また、うまく両立させている子がいるにしても、かなり無理をしているのが実情ではないだろうか。
「そんなに頑張らなくてもいいのに」と言ってあげたくなる(この考え方は、おそらく父親ではなく母親の考え方だと思うが……母親が甘やかすから、子どもがだめになるのだという、権威主義的な男性の声も聞こえてきそうな気もするが)。

新聞記事のピーター・フランクルさんは、「今の日本の部活動は中毒」と言っているが、よくぞ、言ってくれたと思う。度を超えた部活動を腹立たしく思っているからだ。

そして、部活動から帰った子どもたちは、夕食もそこそこに今度は塾に出かけて行く。
こんな余裕のない生活を送っていたらストレスがたまるのも不思議ではない。
今の公立の中学生は忙しすぎる。そんな部活動をするのがいやで、もう少し部活動がゆるやかな私立の中学に行く子がいるのも頷ける話だ。


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受験国語つづき [個別指導]

昨日来た生徒が、私の顔を見るなりうれしい報告をしてくれた。
クラス分けのテストで、80点以上を取り、ランクが一つ上がったのだという。

「先生のおかげです」と生徒が言ってくれた。
夏休み前から、予備校の現代文の先生がよくないとのことで、授業に出るのをやめていて、私のところでしか現代文はやっていないので、私のおかげと思ったらしい。

それよりも私は、彼女がやさしい小説から読みにくい新書まで4冊の本を読破して要約し、入試問題を解くようになってからも、問題文のひとつ一つを時間をかけてていねいに読み、その選択肢を正解としたのはなぜなのか、他の選択肢はどの部分が間違っているのかをよく考え、合わなかった時は自分の考え方のどこが違っていたのかを納得のいくまでやったからだと思う。

ひとつの問題を解くのに1時間半くらいをかけていた。国語は量をこなすより、質の問題の方が大きいから、それで彼女は力をつけていったのだろう。

ところが、ここで新たな問題が一つ出てきた。クラス分けテストでは、評論は語句の意味を問う問題以外は全部合ったのだが、今まで点数が取れていた小説の方が出来なかったという。
彼女のようなケースはよくあることだった。論理的な読みが冴えてくると、反対に心情を問われる問題が解けなくなってくるのだ。

どうしたら、行間を読めるようになるのか?文章に書かれていない登場人物の心情がわかるようになるのか?それは想像力の問題にもなってくるのだが、他人の気持ちを理解したり想像することは、国語の問題というより、人が生きていく上で最も大切なことだといえるだろう。

今、問題になっている先生の「いじめ」など、想像力が欠如しているとしかいいようがない。

試験に合格するためだけのテクニックとしての国語ではなくて、他人の気持ちを理解したり想像したり、人と人とを結ぶ力になるようなそんな国語の勉強を、これからも私は生徒と一緒にやっていけたらと思う。


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受験国語はおもしろい [個別指導]

なぜ、受験国語がおもしろいのかというと、中学受験の文にしても、大学受験の文にしてもそれが1冊の本、あるいは長い文の中から一番おいしいところ、つまりエッセンスを取り出しているからだ。

生徒に教える手前、これまで何百題もの問題文と触れてきたが、その短い文を読んだだけで、評論であれば現代という時代がどういう時代で、その中で暮らしている自分たちが何をどう考えたらよいかをいろいろな角度から示してくれるし、小説であればそこに書かれていない登場人物の気持ちなどを行間からあれこれ想像するのが楽しい。

しかし、文を読むだけではなく、問題を解き、さらに正答も導き出さなければならないとなるとおもしろいとばかりは言っていられなくなる。
まして、評論文と小説とでは読み方も違ってくるという問題もある。

評論文は、筆者が何について書こうとしているのか、それについての筆者の意見や主張はどうなのかを論理の展開に沿って読んでいき、筆者の主張と、それに対立する主張を分けて捉えられれば半分はクリアできる。また、この部分とこの部分は表現は異なっていても、同じことを言っているのだということが見抜ければ、設問も解きやすくなる。つまり、文の中に答えが埋め込められているのだから、一文一文を雑に読まないでていねいに読んでいけばいいということになる。

ところが、小説を評論文と同じように論理的に読んだのでは正解は得られない。文には書かれていない登場人物の気持ちや心情が問われるケースが多いからだ。
それでも、何かの事件や出来事があって、そこで登場人物の気持ちが変化するのは確かだから、人物のセリフや様子や行動や態度、さらには情景描写や雰囲気などから想像して解くことになる。

受験国語はおもしろいと書いたが、国語という科目そのものが、生徒と心を通わせられる科目だから、それがおもしろいというのが本当のところだ。
生徒が来ている間は、夫と息子は1階の居間から2階のそれぞれの部屋に引っ込むのだが、私と生徒の大きな笑い声が2階まで聞こえるのだという。
「何で笑っていたの?何がそんなにおもしろかったの?」と2人からよく質問される。

ところで、今、ウチに来ている大学浪人の生徒は、あまり文が読めなかった。予備校で「現代文」の授業も受けているのだが、ついて行けないということで友人から紹介された生徒だった。

そんな彼女に対しては、やさしい小説の読解から初めて、「読む」「考える」「自分の意見を言う」「書く」という作業を徹底的にやった。
素直な性格で、出した宿題も必ずやってくるので、教えたことが容易にしみこんでいって、最初は拒否反応を示していた評論文に対しても抵抗感がなくなってきた。

今はセンター試験の問題をやっているのだが、時には、私の答えも生徒の答えも、模範解答に合わなかったりして、どうして合わなかったのかを一緒に考えたりもする。
授業の方法も私が先生として一方的に教えるのではなくて、生徒が先生役で説明し、私が生徒になって質問したりしている。どの教科でもそうだと思うが、受け身の授業では力はつかないと思うからだ(これも、生徒にある程度、力がついてからでないと無理なのだが)。

現代文を通して、生徒と意見を言いあって対話をし、生徒のことを知り、私のことも知ってもらって、コミュニケーションを深めていくことが、今の私にとっては一番楽しいひと時だ。

今日は、6時半からその生徒が来ることになっている。


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4年後の生徒 [個別指導]

4年前に受け持った中3の生徒は、勉強が出来ないことだけが原因で自信がなく、自分の存在を消しているような少女だった。

以前のブログにも書いたが、数学では公式を使いたくないといい、問題をやっている時にもそれを隠してしまうので、彼女の思考方法もわからない。宿題にいたっては、入試直前の3週間前になってやっとやり始める有様だった。

一番困ったのは、彼女の声が小さすぎて聞こえないことだった。「もっと、大きな声を出して」と何度も注意したが、そのうち、自分に自信のない子は、大きな声さえ出せないのだということに思い至った。

受け持って間もなくの頃、私が彼女の部屋に入ると、彼女がひっそり泣いていた。私は、彼女がてっきり私と一緒に勉強するのがいやなのだと思って、しばらく寄り添っていたが帰ることにした。
すると、彼女は「悲しいから泣いているのではありません。ずっと、小さい頃から、訳もなく涙がでるのです。だから、先生は心配しないでください」と書いた紙を私に渡してきた。彼女の悲しみに胸を突かれた。

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個別指導と薬 [個別指導]

個別指導で生徒と接していると、生徒の学力が今どのくらいのところにあるのか、やる気はあるのか、自宅での勉強時間や姿勢、集中度はどうなのかを、適切に判断することが必要になってくる。

そういう意味では、個別指導の教師は医師に似ているのかなと思う。生徒の現在の学力ややる気を判断するのは医師の診断に当たるし、薬は宿題と言えるだろう。患者は薬をきちんと飲まなければよくならないと同じように、生徒も宿題をきちんとやらなければ出来るようにならない。

この薬の中身や量を決めるのが、教師の腕のみせどころになってくる。その中身が適切でなかったり、量が多すぎたり、少なすぎたりしてもいけない。大切なことは、まず生徒に薬を飲んでもらうこと、副作用が起きないようにすることだ。

現在教えている中2の生徒の親は、厳しくすること、宿題をたくさん出すことを望んでいる。彼女が数学では落ちこぼれているうえに、通っている公立の中学のレベルが高いので内申の点が思うように取れないことが気が気ではないからだ。

母親の気持ちもわからなくはないので、ためしに薬を今までより多く出してみた(といっても、1週間で連立方程式を12、3題のことなのだが)。いっぺんでは無理だと思ったので、半分できたらFAXで送ってくるように言っておいた。

FAXはきちんと送ってきた。6題全部あっていた。
私はすぐに採点して、「全部合ってます。合格です」と送り返した。
けれど、直感的におかしいと思った。現段階で全部合うはずはないし、解き方も間の計算を省略しすぎていた。
念のためにと思い、教科書ガイドの解答と彼女の答えを比べてみた。
そっくり写してあった。

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うれしい! [個別指導]

昨日は、昼間はちょっといい日で、夜になってうれしいことがあった。

金曜日の夜は、自宅でやっている塾の日で、中2の生徒が家に来るのだが、その子は本当に数学が嫌いで、特に分数となると拒否反応が起きてしまうほどだった。

基礎が全く出来てないので、小学校まで戻って九九や割り算、分数の計算からやり直すことにしたのだが、それに多くの時間を割いていると、学校の教科書まで手が回らなくなってしまう。

本人はいたってのんきなのだが、九九も思うようにはかどらない、ごく簡単な計算も筆算でやるので一つの問題をやるのに恐ろしく時間がかかる、前回教えた内容も次の週には忘れてしまう等など、教える私の方が悩んでしまうほどだった。
この仕事を紹介してくれた友達からは、大変な子だとは聞いていたが、それは事実だった。

それでも、親からは月謝をもらっているわけだし、彼女の成績を少しでも上げることが私の役目であることは確かだった。しかし、点数にこだわっていては、うまくいかないことにある時点で気がついた。

そこで、発想を転換し、点数や時間は無視して、ひたすら理解してもらうことを心がけた。
教える姿勢としては、山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ」に徹することにした。

そうしたら、昨夜、休憩時間のときにお菓子を食べながら、彼女が「今、学校でやっていることはみんなわかる。ケアレスミスさえしなければ合うんだけどね」と、ニコニコしながら言ったのだ。

その笑顔のよかったこと。
私はうれしかった。それだけで心が満たされた。

もしかしたら、私のしあわせって、そんな子どもの笑顔を見ることかもしれないなと、ふと思ったりもした。


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