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不幸は突然に [私のこと]

前回、私がブログを更新したのは11月16日の午前零時過ぎだった。それからすぐに寝て、起きたらひととおりの家事を済ませて、午後からは母の病院に行った。すると、担当の医師から話があるということでお嫁さんも呼ばれて来ていた。
先生は私たちに向かって、「もう、病院でやることもないので、明日でも明後日でもいつでも退院してよいです」と言った。母を含めて私も義妹も退院はかなり先になると思っていたので、先生の言葉は意外だった。
義妹はここ1週間は忙しくて受け入れ態勢が出来ないとのことで、相談の結果、私が付き添うということで母の退院の日が、21日と決まった。

義妹との打ち合わせもあって、通常より家に帰宅する時間が遅くなり、遅めの夕食をすませて、ブログをチェックしたらコメントをくださった方がいたので、返事を書いたのが午後10時頃だった。それから、お風呂に入って布団に入ったのが午前零時頃だったと思う。寝入る間もなく玄関のチャイムの音で目が覚めた。
「こんな時間に一体誰が!」と一瞬思ったが、すぐに飛び起きた。同じ敷地内に住む夫の兄の身に何か起きたに違いないと思ったからだ。

「お父さんの容態が急変して」という姪の言葉を受けて、義姉と2人の姪、それに夫と私、息子も加わって、義兄の入院している病院にそれぞれの車で向かった。
病院に着いたのが、17 日の零時半。だが、すでに兄は帰らぬ人になっていた。

昨年の3月、義兄は68歳で会社を退職し、その直後に肺がんが見つかったのだが、診断では初期の初期ということで放射線治療でガンは消失したと聞かされていた。
実際に義兄は元気そうだったし、退職後に造園デザイナーに依頼して造ったテーマパークのようになった自宅の庭で、木や花々の世話をするのを日課として楽しんでいた。
かねてからやりたいと思っていたことを、カルチャーセンターで学び始めてもいた。

私と夫が、兄のガンが全身に転移していて、余命1ヶ月だと知ったのは、義兄が通院していたそれまでの病院ではなく、ホスピス的な病院に入院した11月の初旬のことだった。義兄の家族がそれを知ったのもほぼ同時期だったという。
医師の説明では兄のガンは治療中に血液に入って、肝臓、脊髄、それから頭へと転移していったという。

初めて、夫と一緒に兄を病院に見舞ったのは12日のことだったが、その時も元気とまではいかなかったが、しっかりしていたので、医師に余命1ヶ月なんて決めつけてほしくないと思ったし、可能性だってきっとあるはずだと思っていた。
もしも、別れの時がやってくるにしても、だんだんと悪くなっていく兄の様子を義姉の家族と共に枕元で見守りながら見送ることになると思っていた。
それなりの心の準備はできるだろうと漠然と考えていた。

これまでにも経験してきたことだけど、不幸というものは何の前触れもなく、足音もたてずに突然にやってくるものだと実感して、虚しくなった。
義兄とは同じ敷地内で30年以上も顔を合わせ、義姉共々仲良くやってきたので、夫はもちろんだが、私のショックも大きかった。

葬儀も終わり、2週間経った今も、兄の死はあまりにも突然で信じられない。
博学で、包容力があって頼りになる義兄のことが、私は大好きだった。


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Haruka

やっぱり夢見てください。
人の一生で幾つかの大変な時があると思われます。 たぶい今はその一つであろうちいととさんには何を書いても無力なこととは思いますが。また、夢見る団塊主婦になって頂きたい。
私の両親は既に無く、10年以上前に義兄を亡くしました。 両親のときはただ悲しく、ある面で順番とも思いました。義兄のときは私の右足にも大きなあながあり、死が近寄っているようにも感じました。 ぼんやりしていた死が身近に感じられました。ある面で死の怖さを初めて感じたのは義兄の死かもしれません。
ちいととさんに理解された義兄様は幸福な人であったと思います。 
新たな夢見る団塊主婦になることをお祈りしています。
by Haruka (2006-12-03 16:32) 

ちいとと

Harukaさん、ご心配いただきありがとうございます。
身内をなくした喪失感は言葉では言い表せないものがありますね。身近で触れ合い、話していた人が急に自分の目の前からいなくなってしまうのですから。
また、折りを見て義兄のことは記事に書きたいと思っていますが、肺がんを宣告された時も、転移がわかった時も淡々と受け入れて、前向きに暮らしていたので、私も兄の生きかたはお手本にしたいと思っています。
私もまだまだこれから、夢を見ながら、その実現も目指したいと思っています。

明日、家の前に「家庭塾」の看板を出す予定です。
by ちいとと (2006-12-03 20:37) 

こう

何があっても動じず、自分なりに日々を生き抜く。
私もそういう人間になりたいと思っています。
by こう (2006-12-05 15:21) 

ちいとと

本当に何があっても受けて立つ、揺るがない自分でいたいものです。それが、これからの課題かなという気もしています。
度々のコメントありがとうございます。
by ちいとと (2006-12-06 01:13) 

びあんこ

ちいととさん、おひさしぶりです。

お義兄さまのお悔やみがこんなに遅くなり申し訳ありません。
まだまだお若いのに突然のことで、ちいととさん、ご主人、そしてお子様たち…、言葉もありません。ご冥福をお祈りするのみです。

ところで引越し先のブログで笈川小百合さんの記事をリンクさせていただきました。事後承諾ですみません。
何かと沈みがちなこの頃、笈川さんの絵と詩になぐさめられています。

http://ameblo.jp/kenta126/entry-10029962820.html

それでは、このへんで。
今後ともよろしくお願いします。
by びあんこ (2007-04-07 12:25) 

ちいとと

ぴあんこさん、笈川さんの記事をリンクしていただいたこと、とても感謝しています。
笈川さんの絵を、できるだけたくさんの方に知っていただくのが「夢見る団塊主婦」の夢の一つでもあるので、その夢の実現に協力者が現れたという思いです。

私は、昨日、ぴあんこさんが引っ越し先のブログで笈川さんを紹介してくださったことを知り、お礼が言いたかったのですが、とにかくパソコンに弱くて、引っ越し先のブログにコメントを残す方法がわかりませんでした。ここで、お礼がいえて、ほっとしています。

笈川さんの絵に関しては、いつの日にか、「野の星天の花」の詩を英文にして、ネットで世界に発信したいと考えています。
英語はもともと好きだったのですが、今、英語を勉強しなおしています。

ぴあんこさんは、英語がお出来になるのですよね。
私が英訳できるようになったら、ご協力いただけたらうれしいです。
いつのことになるのやら、という感じですが……。

義兄へのお悔やみもありがとうございました。
未だに、兄の死が信じられない気持ちでいます。

私も今、母の介護をめぐって、いろいろと葛藤があって、気持ちの整理がつきかねていますが、「弱い立場にいる子どもたち」に関わる仕事がしたいという夢の実現に向けては、挫折しつつ進めています。
目的に向かって、その過程に楽しみを見い出すのが、いつもの私のやり方です。

この歳になってみると、人生も死への過程かな、という気もしています。
お互いに、小さなことに喜びやしあわせを感じて過ごしていきたいものですね。
ブログを通して、ぴあんこさんと知り合えたこと、とてもうれしいです。
私の方こそ、今後ともよろしくお願いします。
by ちいとと (2007-04-07 20:29) 

びあんこ

ちいととさん、こんにちは。
レスありがとうございます。
拙ブログですが、いろいろあってコメントオフにしております、ごめんなさい。

>「野の星天の花」の詩を英文にして、ネットで世界に発信したいと考えています。

すてきですね、私の英語もかなりあやしいのですが、何かできることがありましたらお手伝いさせてください。
4月の絵と詩も拝見しました、癒されております。

>人生も死への過程かな、と

私は大分前から余生を生きているような気がします。
それでも、ちいととさんと知り合えたことは嬉しいです。

>「弱い立場にいる子どもたち」に関わる仕事がしたい

素晴らしい夢ですね、ぜひ実現させてください!
by びあんこ (2007-04-09 18:24) 

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