息子の山村留学(6) [私の子育て ]
8月に入ってからの夏休み、雄一は2回目の里帰りをした。長野の生活に慣れたとはいえ、自宅に帰るのを楽しみにしていたはずの雄一が、帰宅早々、些細なことで怒ってばかりいた。
「帰ってきても何もおもしろいことはない。ぼくはもう、冬休みも帰って来ないし、2年になっても帰って来ない。高校も阿南高校(泰阜村の隣村の高校)に行く。明日帰るから早く高速バスの切符を取って!」
私にも、長女の陽子にも原因に全く心当たりのない、支離滅裂な怒り方だった。これまでの他人との生活における我慢が爆発したのだと、私は寛容に構え、雄一の態度が許せない陽子を制止して、静かに雄一の暴言を聞いていた。
その一方で、雄一にとってはダイダラボッチが過ごしやすい場所で、東京には魅力がないのだと実感し、暗い気持ちになった。
残すところ半年余りで、雄一は東京に戻ることになっている。その時になって、東京の生活にうまく適応できるかと不安になった。泰阜村の自然と、ダイダラボッチの生活を東京に再現することは不可能だったからだ。新たな問題を抱え込んだ私に、雄一が突然に、しかし、静かな声で話しかけた。
「あれ、ぼく、どうしたんだろう。イライラしちゃって。お母さん、ごめんね」
私は雄一の言葉が信じられなかった。雄一はそれまで一度として、自分の言動を振り返ってみることなどしない子だった。
私や夫が幾度となく、もう一人の自分を作るようにと注意しても、いつも自分勝手な独りの雄一を存在させるだけだった。そんな雄一が、自分の内面を見つめ、本心から謝った。格段の進歩だと思った。
それからの雄一は穏やかだった。山と積まれた宿題を、いい加減にではあるが毎日少しずつ仕上げていった。また、夫と一緒に「ランボー」の映画を見に行ったり、地元の友だちと「リングリングサーカス」を楽しんだりもした。そうこうするうちに、2週間の短い夏休みは終わり、雄一は元気にダイダラボッチへと戻って行った。
以前、森の幼稚園ダイダラボッチに参加しました。山村留学も考えましたが、その後母が倒れ、要介護状態になった母が悲しむのでなかなか踏ん切りつかずでしたが、本人は今の中学が合わないようで田舎に行きたいとばかり言っています。 以前行った長野はどんな感じかと尋ねてきます。 その後息子さんはどのような感じなのでしょうか 山村留学やはり良かったのでしょうか 何か良いアドバイス頂けたらと思います。突然失礼ですがよろしくお願いいたします。
by 加藤 (2019-10-08 01:09)