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山村留学先の放映時間変更のお知らせ [テレビ]

先ほどアップした記事について、番組時間の変更の知らせが、息子の携帯メールに届きましたので、取り急ぎ、ご報告させていただきます。

番組名  「たけしの日本教育白書2007直前スペシャル」
放送局 フジテレビ
放送時間帯 16:30分~17:30分の間の15分間

振り回してしまって、申し訳ありませんでした。
よろしくお願いします。


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山村留学先のご紹介 [テレビ]

今日の今日ということで、突然ですが、息子が1年間過ごさせてもらって本当によかったと思っている、長野の山村留学先、NPO「グリーンウッド」の“山賊キャンプ”がテレビで紹介されます。

今日27日(土)フジテレビ、19:00~24:00に放映される「たけしの日本教育白書2007」という番組で、“山賊キャンプ”の様子は、19:00~21:00の間で放送される予定だそうです。

約15分間ということなので、その良さがどのくらい伝わるかわかりませんが、スタッフや子どもたち、またその親たちが、20年以上の歳月をかけて、地域と溶け合いながら、地道に取り組んできた活動です。

グリーンウッド(=ダイダラボッチ)が有名になっても、スタッフや子どもたちはいつもと変わらずに、淡々と日々の生活を続けていくと思いますが、その存在をできるだけたくさんの方たちに知ってもらいたいというのが、そこから巣立っていった卒業生や親たちの共通の願いにもなっています。

山村留学に興味・関心のある方、また子育てや教育について考えている方には、ぜひ、見ていただきたいと思います。
よろしくお願いします。


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アフガニスタンの子どもの目 [テレビ]

一昨日にNHKテレビ「クローズアップ現代」で見た、アフガニスタンの子どものうつろな目が心に焼きついて離れない。

長引く対テロ戦の陰で、大人ばかりでなく子どもまでも麻薬に蝕まれている様子が映し出されていたからだ。
アフガニスタンでは、麻薬の原料になるケシの栽培が全土に拡大して、世界の生産量の9割をこえたという。
アフガン政府はこれに危機感をもって、ケシに人間が滅ぼされる前にケシを撲滅しようと、アメリカなどの支援を受けて、ケシ畑を根こそぎ潰してしまうなどの強硬策を取っていた。

私はケシを栽培することは違法だと理屈ではわかっていても、ケシに依存しなければ生きていけないアフガンの農民の悲痛な顔を見ていられなかった。この先、彼らはどうやって生き延びていったらいいのだろうか。彼らから畑を奪っても何の解決にもならない。それどころか、彼らは食べていくことができなくなって、今以上に栄養失調になって死んでしまうだろう。

麻薬は欧米に流れ込んでいるだけではなく、密売による利益はタリバンの大きな資金源にもなって、それがまた武装反乱を増大させているという。
麻薬を取り締まるはずの警察官が国境付近でそれを横流しする姿も、映像には映し出されていた。政府高官の中にも麻薬で甘い汁を吸っている人たちがいるという。
悪循環が繰り返されるばかりだ。
記者は事実だけを淡々とレポートしていたが、見る側がこれだけ衝撃を受けたのだから、現地で取材した当の記者の思いは想像も出来ないほどだ。

「世界がもし100人の村だったら」という本の中に、「世界の子ども100人のうち小学校に行くのは87人です。中学校に行くのは40人です。そのうち20人は、とちゅうでやめました。60人ははじめから行っていません。子どもたちが中学校に行かないのは、貧しさや、戦争や飢餓のためです」と書いてあったことが、現実のこととして胸に迫った。
日本では中学までは義務教育と呼ばれているくらいだから、教育を受ける権利も持たないアフガンの子どもたちからみれば、恵まれていると言わざるをえないだろう。

干ばつに加えての内乱続き、そして、水や食べものという生きるために必要最小限のものが保障されていなくて、生きる希望を失ったアフガニスタンの人々。その苦しみから逃れるために、自ら麻薬を吸い、幼い子どもたちにまで与えてしまう。それで、子どもたちが静かになるからだという。
見ていてつらくなるようなアフガニスタンの現状だった。

こんな子どもたちが、もし学校に行くことが出来たとしたら、どんなに喜ぶだろうか。
「勉強して何の意味があるのか」などとは、思わないに違いない。
学校に行って勉強ができるというそのことだけで、彼らの目はきらきらと輝くことだろう。

今は夢物語にすぎないかもしれないが、そんな日が一日も早く訪れることを願うばかりだ。
大人の利益のためにする戦争が、決して子どもをしあわせにしないことを、特に、権力をもつ大人ほど肝に銘じてほしいと思う。


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純情きらり(2) [テレビ]

冬吾がわが子の無心の笑い声に触発されて我を忘れて絵を描いていた。それを見ていたジャズマンの秋山が「絵なんか描いてどうするんだよ。どうせ売れないんだろう」とバカにする。秋山は戦争一色の中で、誰も聞いてくれない音楽を捨ててしまっていたからだ。

これに対して、冬吾は「売るために描いているのではない。描きたいから描いているんだ」と言った。

振り返ってみれば、私もずいぶんいろいろなことをしてきたが、母や下の弟からは「そんなことやって何になるの」と少なからずあきれられたものだ。2人の言葉には言外に「お金にならないことをやっても意味はない」というニュアンスが含まれていた。
私は反発しながらも、その度に傷ついていた。

ところが、最近、結婚している娘が働きながら学校に通うという話を聞いて、「それが何になるの」と言ってしまった。
その場ですぐに、娘も私と同じことをしているのだと気がついて、「うん、何でもやればいいわよ。やりたいと思うことは」と言い直した。

今日の放送では、お金に換算して物事を測ろうとする秋山に対して、桜子が「歌ったり、絵を描いているのは何かのためではない。希望を感じていられるから」と返した。
確かにそうだ。何かに対してすごく一生懸命になっているときは、たとえそれが大変なことであっても、希望が感じられたり、大きな夢を見ることができるのだ。

人間はどうせ死ぬんだから、何をやってもムダということではないと思う。
死ぬからこそ、今この時を生きるのだと思う。
それは死を忌み嫌って、ただ毎日を面白おかしく暮らすことではない気がする。


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ワーキングプアと金持ち [テレビ]

昨夜、NHKスペシャルの「急増“働く貧困層”」という番組を見た。タイトルの意味は働いても働いてもプアということらしい。途中からだったので全てをつかんだわけではなかったが、日本の将来に影を落とす深刻な問題だと思った。

妻を失い、会社の業績悪化でリストラされた50代の男性は、仕事を3つも掛け持ちし、男手一つで2人の子どもを育てていた。朝まで働く日もあるといいい、その懸命さに打たれたが、それでも年収はわずかに200万円だった。中学生の子どもはみんなと同じように塾に行きたいというが、今の収入ではそれもかなわないという。

また、高校生のときに母親に蒸発された青年は、30歳を過ぎてもなお都会を漂流し、ゴミ箱から雑誌を拾ってそれを売り、1日に何百円かのお金を得てそれで食いつなぐような生活をしていた。

もし、この番組を金持ちが見ていたとしたら、「今まで努力してこなかった自分が悪いのだ」とか、「怠けていたから自業自得だ」などと考えて、プアな人たちを切り捨てるのだろうか。

番組のキャスターが「この人たちは、これまで決して怠けていたわけでも、いい加減な生活をしてきたわけでもない。一生懸命に働いてもどうにもならなかったのだ」という主旨の発言をしていた。

私は、この番組の制作者のような視点を、政治家や強者と呼ばれる人たちに持ってほしいと思った。
今年に入って、弱者が切り捨てられることが目立っているからだ。

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純情きらり [テレビ]

NHKの朝ドラは始まったばかりだが、三浦友和が演じる父親役の源一郎を見ていて、何ていい父親なんだろうと思った。4人の子どもを残して妻に先立たれて、男としても父親としてもそれだけでも大変なはずなのに、自分のことはさて置いて、つねに子どものことを思って暮らしていた。

今の父親は総じて子どもっぽく見えるのだが、まだ父親が父親たりえた、昭和初期という時代背景にも関係があるのだろうか。
源一郎は子どもの気持ちを細やかな愛情で受け止め、世間の常識にとらわれることなく、子どもの可能性を信じて、親としてできるだけのことをしようと考えていた。

母親が亡くなっても、父親に愛され、守られて育った主人公の桜子はしあわせだった。

けれど、そんなしあわせは長くは続かなかった。
今日の放送で、源一郎は事故にあい死んでしまったからだ。

原作は読んでいないものの、何となくそんな予感はしていた。
平和でしあわせな生活というものは永遠には続かず、不幸というものが突然やってくるものだということがわかっていたからかもしれない。

もう、40年以上も昔のことだが、私の場合も、“突然の今日”という感じで不幸がやってきた。今日のドラマと同じように、真夜中に父の事故を知らされ、病院に駆けつける母から、自宅で待っているように言われたときのことだ。生まれて初めての胸騒ぎも経験した。

病院に運ばれたその時は意識はあったものの、それから間もなく父は亡くなった。そして、父に守られて、しあわせに暮らしていた私の生活は一変した。

何の前触れもなく、突然の不幸に襲われたあの日の感触を私は未だに忘れることができないでいる。


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風のハルカ [テレビ]

NHKの朝ドラの「風のハルカ」を毎日見ているが、主人公ほか登場人物の言葉に共感させられることが多い。とかく、ドラマは説明ゼリフが多かったり、筋に沿って登場人物が動くだけになってしまいがちだが、ハルカは登場人物がきちんといて、それでドラマを引っ張っていくという感じだ。

前々回くらいでは、ハルカのお父さんの陽介さんが、ずっと走り続けていて、立ち止まってみたら、今の生活をそのまま続けていていいのだろうかと疑問に思ってしまった、と過去を振り返っていた。
陽介さんに限らず、ひとたび立ち止まってしまったら、こんな忙しい生活でいいのだろうか、自分は何をやっているんだろう、子どもや家族とこんな接し方しかできなくていいのだろうか、と考えてしまう人が案外多いのではないかと思う。

立ち止まったら、生きかたを変えるしかなかった陽介さんは会社を辞めたもののうまくはいかなかった。ハルカのことも失望させてしまった。現実は甘くはないということなのだろう。
過去の陽介さんと同じように、何を目指して走り続けているのかわからなくなって不安になっているハルカに陽介さんが言う。「誰だって不安だし、迷っているんだよ」と。本当にその通りだ。ドラマの中とはいえ、こんな言葉を聞くと安心する。かくいう私もこの歳になりながら、将来への不安はいっぱいだし、迷ってばかりいるからなのだが……。きっと、ハルカの脚本家の大森美香さんも同じなんだろう(勝手に決めつけるのもよくないけど)。

ハルカの友人(恋人になるのかもしれないが)の猿丸が今日言った「俺は、ヒマとムダが好きなんだよね」という言葉にも共感できた。
今は、「それやって何になるの」とか、「そんなことして何の得があるの」とか考えて、物事を合理的にしか考えない大人や子どもが増えている気がするから(もっとも、子どもについては親の影響だと思うが)。

私が週に1、2回歩いている近くの大きな公園は、紅葉が終って、それから黄葉になり、私の好きなケヤキの木たちが、雲一つない青空に枯れ葉をわずかに残しながら天に向かって枝を広げている。私はそこで立ち止まり、大きく腹式呼吸をして、たくさんの木たちから酸素をいっぱいもらう。
そういうヒマな時間が持てるのはいいものだ。気分がいいし、ささやかなしあわせも感じる。それこそ、得した気分だ。


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