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月下美人 [私の楽しみ]

今年は9月24日に、昨年は9月23日に、「月下美人」が咲きました。
何年も前から、わが家には月下美人があったのですが、咲いたのは去年がはじめてでした。
下を向いていたつぼみが次第に膨らみ、上を向いて咲いたその瞬間には、神々しいと思えるほどのその美しさに感動して、言葉も出ませんでした。
たった数時間の花の命だから、その一点に全てを集中して、こんなに見事な花を咲かせるのかと思いました。
夜の8時頃に咲いて、夜中の12時頃には閉じてしまいましたが、その間飽きることなく、花を眺めていました。
透き通るような花の白さに心を奪われて、別世界にいるような気分になりました。秋分の夜の静かな静かなひとときでした。

(写真は去年のものです。今年は実家の引っ越しの手伝いで出かけていたため、花が咲く瞬間を見ることはできませんでした。けれど、玄関を開けた途端、月下美人の花が私の目に飛び込んできて、しばらく花と共に過ごしました。)


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映画「ボルベール」 [私の楽しみ]

朝のラジオ番組で、新宿初のシネマコンプレックス「新宿バルト9プレス」のことを知って、映画そのものより、映画館に行くことが目的で、新宿まで出かけた。
そこで、たまたま見た作品が「ボルベール」だった。その映画が母、娘、孫娘3代の女性たちの葛藤と和解を描いた前評判の高い作品であることまでは知っていたが、それほど期待はしていなかった。

ところが、映画を見てから1週間近く経った今でも、まだその余韻が残っていて、自分自身のメモとしても、書いておきたいと思った。この先も、印象に残る映画として心に刻まれるに違いないと思ったからだ。
それほどに、質が高くて、見応えのある作品だった。

スペイン映画ということだったが、何と言っても、主役のライムンダを演じるペネロペ・クルスという女優の美しさが際立っていた。大きく見開かれた黒い目とメリハリのある美しい肢体でエネルギッシュに動き、明るくしたたかに生きる女性を好演していて、圧倒的な存在感を見せていた。

場面は墓場の掃除から始まるのだが、そこに居合わせた人々がお互いに交わす「チュ、チュ」というキスの音が、耳障りなほど大きくて、見ていて落ち着かない気分になった。親しくても、親しくなくても、スペイン人はみんな、あんなに大きな音をたてて、挨拶代わりのキスをするのだろうかと思った。もし、あれをそのまま日本でやったら、人間関係が変わるのかなどと、余計なことを考えたりもした。

展開が全く読めぬまま見ていると、次の場面では、病気の伯母を見舞ったライムンダが、娘のパウラと共に自宅に戻ってくると、夫から会社をクビになったことを聞かされる。その夫の前で、パウラは足を広げたままテレビを見ている。そんな娘に対して、夫が卑猥な視線を向け、ライムンダは、「足を閉じなさい」と注意する。同じ夜、ライムンダが夫の求めを拒否すると、夫は「チェッ」と舌打ちした。
この時点では、このイヤな関係で話が進んでいく、あまり見たくない映画になるのかと思った。

予想は見事に裏切られた。たったこれだけの伏せんの後で、夫がパウラに関係を迫り、抵抗したパウラが夫を殺してしまうのだ。パウラが夫の子どもではなかったことも明らかにされる。

父親に犯されそうになった娘は、父親を殺し、母親は娘を守るために、何とかこの事実を他人に知られず、死体を処理し、死体の捨て場所についても考えを巡らす。これだけでも、映画1本の内容としては十分なのに、作り手はこの部分には全く重きをおいてなかった。
次はどうなるのかといストーリよりも、困難な状況に直面した人間がどう動くか、どう生きるかのほうに焦点を合わせているように見えた。

死体を大きなトランクに入れて冷凍庫に隠し終わったところに、映画のロケ隊がやって来る。ライムンダは報酬がほしくて、冷凍庫の死体のことはひとまず置いておいて、彼らの食事作りを一手に引き受ける。隣近所を巻き込みながら、明るくたくましく働く彼女は輝いていて、殺人事件の渦中にいる人間にはとても思えなかった。
心の内側は限りなく重く、深刻なはずなのに、ライムンダの突き抜けたような明るさが快くも感じられた。娘のパウラにしても、父親を殺してしまったのに、母親と同様に淡々と日常生活を営んでいる。
母と娘がそれぞれに、死んだ男に対して、どういう感情を持っているのかも画面からはうかがい知れずに、見る側の想像に委ねてられている感じがした。過去は引きずらずに、起きてしまったことは全て引き受けて、目の前のことを一つずつ片付けて、明るく生き抜いていくということなのだろうか。

死体を車に積んで湖に運ぶ場面もあるのだが、サスペンス的要素は十分にあるものの、死体を埋めるところまでスムースに進んでいく。誰にも気づかれなかったばかりでなく、ライムンダに協力して穴を掘ってくれる知人も、トランクの中身が死体であることは見当をつけている様子なのに、何も聞かない。

一方、ライムンダには、確執のあった母親と父親を、4年前に火事で亡くしてしまうという過去があった。
パウラを妊娠してから、15年間、母親とは音信不通の状態が続いていたのだが、母親が死んだ後も、ラムインダは母親を憎んでいて、心の中に大きなわだかまりを抱えていた。

夫が死んだ日に、ライムンダが大切に思っていた伯母が亡くなり、彼女は死体処理の真っ只中で葬儀に出席することはできなかったのだが、彼女の姉ソ-レが、そこで死んだはずの母親イレネの姿を見かける。
ソーレは、ライムンダに内緒で母親を匿い、一緒に生活するようになる。
イレネは生きていたのだ。
しかし、なぜ、イレネは姿を隠さなければならなかったのか。イレネもまた、人には決して言えない苦しい過去を抱えて生きていたのだ。そして、なぜ、ラムインダは母親を憎むようになったのか。
想像を絶するようなおぞましい過去を背負って、ライムンダのように生きることが、果たしてできるのかと思った。

映画が終わってからも、登場人物の女性たち一人ひとりが過去を引き受けながら、未来に向かって力強く生きていく姿がしっかりとイメージできた。その後も続くであろう主人公たちのつらく、苛酷な人生を思うと、大きな痛みを感じてしまうが、観る側のそんな思いや、他人の思惑など関係なく、彼女たちはこれからもしっかりと自分の人生を歩いていくのだろうと思った。映画の中の女性たちなのに、現実に生きて、そこで生活している人間のように、しっかりした輪郭と奥行きを感じさせるところが、この映画の優れている点なのかもしれない。
女性の、強さ、したたかさ、しなやかさを余すところなく見せてくれた作品だった。
同じ女性として勇気をもらった気もしている。


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足利フラワーパーク [私の楽しみ]



これ迄、連休中はどこに行っても混むからという理由で、家でゆっくりと過ごすことが多かったのだが、夫に誘われて今日は「足利フラワーパーク」というところに行って来た。
朝の7時半くらいに家を出たら高速道路も思いのほかすいていて、自宅から2時間弱で現地に着いた。その時点ではまだ人も多くなかったので、足を踏み入れた途端にまず目に入った藤のあまりの美しさに圧倒され、しばらく動けずにいた。

花が大好きなので、出かけるなら花がたくさん咲いているところというのが第一条件になるのだが、期待して行くと、それほどでもなくてちょっとがっかりさせられることも間々あったのだが、今日は大の大の大満足で、行って本当によかったと思った。

それにしても、これほど大きく見事で、美しい藤の花がこの世に存在するなんて思ってもみなかった。
1本の太い幹から、藤棚を伝わって端っこまでつたは一体どのくらい伸びているのだろうと思うほどの長さで、私の歩幅で試しに数えてみたら片側方向にだけでも30歩以上あった。花房も今年は短いということだったが、それでも1メートル近くはあったと思う。

上から下へと流れるように咲く無数の紫色の花の世界に身を置くと、それが現実の世界ではないように思えてくる。
夜になってライトアップされたら、どれほど幻想的な美しさを醸し出すことだろう。
「世界が息を呑んだ美しさ」とパンフレットには書いてあったが、本当にその通りだった。


大藤(野田の長藤)
世界に類を見ない幹周り3、6mの美しい樹体を持つ長藤。1996年2月28日、日本女性樹木医第一号「塚本こなみ」によって移動。4月下旬から5月上旬、160cmもの長い花房を250畳の棚いっぱいにつける。1999年10月足利市重要文化財指定天然記念樹となる。


6、7分咲きくらいだったが、世界唯一の白藤のトンネル


藤の花以外にも、ポピーやつつじ、クレマチス、サフィニアその他いろいろな花が咲き乱れていた。


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森山良子のコンサート [私の楽しみ]

先週の金曜日、森山良子のコンサートに夫と一緒に行って来た。
年に一度、オーチャードホールで開催されるこのコンサートに通うようになって、もう15年以上の年月が流れている。

歌が好きなので、これまでにもシャンソンのパリ祭、由紀さおり・安田祥子、井上陽水、五輪真弓、倍賞千恵子、松山千春、さだまさし他、いろいろな歌手のコンサートに行ったけれど、音楽を心ゆくまで堪能できるのは私にとっては森山良子だった。

美しい声を生かして聞かせる愛の曲から、反戦歌、低音を効かせた迫力のある曲まで、とにかくレパートリーも広いし、選曲の構成もいいので、最初から最後まで楽しむことができる。
また、森山良子とは同世代なので、時代を共有して生きてきたという点でも通じるものがあるのかもしれない。

今回歌った曲で、私が覚えているのは、「この広い世界いっぱい」「涙そうそう」「さとうきび畑」「パピエ」(TVドラマ「拝啓、父上様」の主題歌)「子犬のワルツ」「禁じられた愛」「30年を2時間半で」「My Memory」「さくら」「ある日の午後」「‘S Wonderful」「エターナリー」などだったが、この中で特に私がいいと思ったのは「ある日の午後」と「My memory」だった。

かなり前のことになるが、これまでの森山良子のコンサートで一生忘れないと思うほどよかったのは、ミッシェル・ルグランとのジョイントコンサートだった。2人で歌った「シェルブールの雨傘」や「風のささやき」を聞いたときには、体が震えるほど感動した。クラシックのコンサートでも似た体験をしたことはあるけれど、音楽を聞いてあれほどしあわせを感じたことはなかった。

あれほどのしあわせ感はそうそう味わえるものではないと思うけど、1年に一度、我が家の庭に牡丹が咲く頃、夫と一緒に「森山良子」のコンサートに行けることもまた、しあわせなことだと思っている。


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