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映画「ボルベール」 [私の楽しみ]

朝のラジオ番組で、新宿初のシネマコンプレックス「新宿バルト9プレス」のことを知って、映画そのものより、映画館に行くことが目的で、新宿まで出かけた。
そこで、たまたま見た作品が「ボルベール」だった。その映画が母、娘、孫娘3代の女性たちの葛藤と和解を描いた前評判の高い作品であることまでは知っていたが、それほど期待はしていなかった。

ところが、映画を見てから1週間近く経った今でも、まだその余韻が残っていて、自分自身のメモとしても、書いておきたいと思った。この先も、印象に残る映画として心に刻まれるに違いないと思ったからだ。
それほどに、質が高くて、見応えのある作品だった。

スペイン映画ということだったが、何と言っても、主役のライムンダを演じるペネロペ・クルスという女優の美しさが際立っていた。大きく見開かれた黒い目とメリハリのある美しい肢体でエネルギッシュに動き、明るくしたたかに生きる女性を好演していて、圧倒的な存在感を見せていた。

場面は墓場の掃除から始まるのだが、そこに居合わせた人々がお互いに交わす「チュ、チュ」というキスの音が、耳障りなほど大きくて、見ていて落ち着かない気分になった。親しくても、親しくなくても、スペイン人はみんな、あんなに大きな音をたてて、挨拶代わりのキスをするのだろうかと思った。もし、あれをそのまま日本でやったら、人間関係が変わるのかなどと、余計なことを考えたりもした。

展開が全く読めぬまま見ていると、次の場面では、病気の伯母を見舞ったライムンダが、娘のパウラと共に自宅に戻ってくると、夫から会社をクビになったことを聞かされる。その夫の前で、パウラは足を広げたままテレビを見ている。そんな娘に対して、夫が卑猥な視線を向け、ライムンダは、「足を閉じなさい」と注意する。同じ夜、ライムンダが夫の求めを拒否すると、夫は「チェッ」と舌打ちした。
この時点では、このイヤな関係で話が進んでいく、あまり見たくない映画になるのかと思った。

予想は見事に裏切られた。たったこれだけの伏せんの後で、夫がパウラに関係を迫り、抵抗したパウラが夫を殺してしまうのだ。パウラが夫の子どもではなかったことも明らかにされる。

父親に犯されそうになった娘は、父親を殺し、母親は娘を守るために、何とかこの事実を他人に知られず、死体を処理し、死体の捨て場所についても考えを巡らす。これだけでも、映画1本の内容としては十分なのに、作り手はこの部分には全く重きをおいてなかった。
次はどうなるのかといストーリよりも、困難な状況に直面した人間がどう動くか、どう生きるかのほうに焦点を合わせているように見えた。

死体を大きなトランクに入れて冷凍庫に隠し終わったところに、映画のロケ隊がやって来る。ライムンダは報酬がほしくて、冷凍庫の死体のことはひとまず置いておいて、彼らの食事作りを一手に引き受ける。隣近所を巻き込みながら、明るくたくましく働く彼女は輝いていて、殺人事件の渦中にいる人間にはとても思えなかった。
心の内側は限りなく重く、深刻なはずなのに、ライムンダの突き抜けたような明るさが快くも感じられた。娘のパウラにしても、父親を殺してしまったのに、母親と同様に淡々と日常生活を営んでいる。
母と娘がそれぞれに、死んだ男に対して、どういう感情を持っているのかも画面からはうかがい知れずに、見る側の想像に委ねてられている感じがした。過去は引きずらずに、起きてしまったことは全て引き受けて、目の前のことを一つずつ片付けて、明るく生き抜いていくということなのだろうか。

死体を車に積んで湖に運ぶ場面もあるのだが、サスペンス的要素は十分にあるものの、死体を埋めるところまでスムースに進んでいく。誰にも気づかれなかったばかりでなく、ライムンダに協力して穴を掘ってくれる知人も、トランクの中身が死体であることは見当をつけている様子なのに、何も聞かない。

一方、ライムンダには、確執のあった母親と父親を、4年前に火事で亡くしてしまうという過去があった。
パウラを妊娠してから、15年間、母親とは音信不通の状態が続いていたのだが、母親が死んだ後も、ラムインダは母親を憎んでいて、心の中に大きなわだかまりを抱えていた。

夫が死んだ日に、ライムンダが大切に思っていた伯母が亡くなり、彼女は死体処理の真っ只中で葬儀に出席することはできなかったのだが、彼女の姉ソ-レが、そこで死んだはずの母親イレネの姿を見かける。
ソーレは、ライムンダに内緒で母親を匿い、一緒に生活するようになる。
イレネは生きていたのだ。
しかし、なぜ、イレネは姿を隠さなければならなかったのか。イレネもまた、人には決して言えない苦しい過去を抱えて生きていたのだ。そして、なぜ、ラムインダは母親を憎むようになったのか。
想像を絶するようなおぞましい過去を背負って、ライムンダのように生きることが、果たしてできるのかと思った。

映画が終わってからも、登場人物の女性たち一人ひとりが過去を引き受けながら、未来に向かって力強く生きていく姿がしっかりとイメージできた。その後も続くであろう主人公たちのつらく、苛酷な人生を思うと、大きな痛みを感じてしまうが、観る側のそんな思いや、他人の思惑など関係なく、彼女たちはこれからもしっかりと自分の人生を歩いていくのだろうと思った。映画の中の女性たちなのに、現実に生きて、そこで生活している人間のように、しっかりした輪郭と奥行きを感じさせるところが、この映画の優れている点なのかもしれない。
女性の、強さ、したたかさ、しなやかさを余すところなく見せてくれた作品だった。
同じ女性として勇気をもらった気もしている。


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naonao

私もこの映画観ました。
ボルベールの歌が気に入ってしまい、ラテン歌手のルイスミゲルも歌ってることがわかり、CDを買って毎日聴いてます。スタンダードナンバーみたいでいろんな人がカバーしてました。
それとチュチュと音を立ててキスする挨拶は、スペインに限らずスペイン語圏の中南米でも同じで、これに慣れてしまうと普通の挨拶なので、どうということありません。全ては慣れです!
TB送りますね。よろしくお願いします。
by naonao (2007-08-22 17:41) 

ちいとと

naonaoさん、コメントとナイスありがとうございました。私もペネロペが歌った歌はとても印象に残っていて、歌の世界にはまってしまいました。ただ、その分だけ、字幕で歌詞を読むのがおろそかになって、もっとしっかり読めばよかった、と残念な気がしています。CDを買われたとのこと、映画を離れても、毎日聴いてしまうほどいい歌なんですね。
キスの仕方も、お国柄によってさまざまなのですね。教えていただいてありがとうございます。文化によるいろいろな違いもおもしろいですね。日本ではちょっと考えられないドラマだと思いました。
TBの件は、了解です。
by ちいとと (2007-08-22 20:17) 

こう

あらためて、女性の強さがわかる映画なんですね。
観なくてもわかっていますが、観てみたくなりました。
by こう (2007-08-25 21:47) 

ちいとと

私は夫と見に行ったのですが、客席が少なかったせいもあるかもしれませんが、男性の姿はほとんど見かけませんでした。見ている時よりも、後に残る映画で、夫の感想も同じだったのですが、どちらかというと女性向けの映画だと思います。
こうさんには、女性の強さがわかるのですね。そういう男性って、いいなと思います。
by ちいとと (2007-08-25 22:08) 

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