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我が子がかわいくない [私の子育て ]

昨日は、「問題をもつ子」ということで、我が子が言うことを聞かなかろうが、出来が悪かろうが、学校に行かなかろうが、「その子はその子でいいのだ」とありのままの我が子を認めることが大切だと書いたが、これはそう簡単なことではない。
私もかなり長い期間、ありのままの子どもを受け止めるという実践を積んできて、それは出来るようになったけど、これはあくまでも仕事であったり、他人の子どもであるから出来ることで、我が子となるとそうはいかない。

たとえば、我が子が不登校になった場合、その子の気持ちをそのまま受け止めて、「行きたくないなら行かないでもいい」と、言い切れる親がどれだけいるだろうか。「他のことはいいから、とにかく学校だけは行ってくれれば」と思ってしまうのが、大部分の親ではないかと思う。
理屈では「その子のありのままを認める」ことが大切なのはわかっているけど、それが出来ないから親は悩むし、苦しむのだと思う。他人のことなら何とでも言えるけど、当事者になったらそう簡単にはいかないのだ。

私は息子が小学校5年生のとき、息子のことをかわいいと思えなくて、「この子がいなかったら、どんなに楽だろう」と、思ったことが何度かあった。担任の先生がすごく厳しくて、「毎日、授業は聞かない。忘れ物はする。一体、お母さんはどんな教育をしているんですかね」と先生に責められ、私は一生懸命、育てているつもりなのに、息子がそうなのは、息子が悪いのであって、私は被害者であるように思ってしまった。
先生がこんなだから、クラスの友だちも、息子のことを認めなくて、いじめもあって、息子はずいぶんつらい思いをした。その時の息子は、「言いたいことがあるなら何とか言え」と夫に怒られても、返す言葉を持たなかった。(弱い立場にある子どもは牙をむき出すことはできても、自分の意見をはっきりいうことなどできなないのだ、と今では思う)大人になってから、息子は当時のことを振り返って、「学校で先生に怒られて、家に帰ったらお父さんとお母さんに怒られて、ぼくは本当につらかった」と言っていた。

ところが、当時の私は、息子のつらさをある程度は理解しながら、自分のほうがつらくて、不安で、息子のことをかわいく思えなくなっていた。「私がこの子のことをかわいいと思えなくて、誰がこの子のことをかわいいと思うだろう」と、そう思う自分を責めて、母親に愛されない息子のことを本当にかわいそうだと思った。煮詰まってしまって、身動きができなくなってしまったのだ。

学校での勉強も、ざるから水がこぼれ落ちるように、息子の頭には何ひとつ入っていかなかった。そこで私は毎日、息子の勉強をみることになった。同じことを繰り返し、繰り返し、何度も教え、わからなくても、覚えなくても、怒らないように努めた。息子のことはかわいくなかったが、見棄てるわけにはいかなかったからだ。
息子の子育ては、大変だったけど、あきらめなかったことが、よかったのかもしれないと、今は思う。
それでも、結局、息子は中学1年で、山村留学に行き、それが転機になって、明るい光が見えてきた。そのきっかけについては、また、折をみて書いていきたいと思う。


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