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息子の山村留学(4) [私の子育て ]

雄一は農繁期の中間休みということで帰宅したのだが、帰宅当日は疲れが出たのか会話らしい会話もしなかった。ところが、翌日になると、特に私の方から問いかけなくても、次から次へとダイダラボッチでの生活について語り始めた。

山から薪を背負って運んだこと、その薪で沸かす風呂のこと、斧を使ってのまきわり、朝7時からの朝練と夕方6時半までのテニスの部活等など、私を含めた家族にとっては新鮮な内容ばかりだった。

特に印象が深かったのは、仲間の女の子が宿題を終らせていなかったために、皆が楽しみにしていた天竜川での川遊びが出来なくなった話だった。

ダイダラボッチの子どもたちは毎日の仕事に追われ、宿題をやらないことが多いという。それを学校側からも注意されていたので、土曜日中に全員が宿題をきちんと仕上げたら、翌日の日曜日は天竜川に行く予定になっていた。

雄一もがんばって宿題を終らせていたので、本当にがっかりしてしまって、皆と一緒に女の子を責めたという。たった1人のやる気のなさのために、残り全員が迷惑したことを、雄一は身を持って体験してきたようだった。

その話は後日、私がダイダラボッチを訪問した折に、相談員から事の次第を詳しく聞くことが出来た。宿題をやらなかった女の子は、最初から川遊びには乗り気ではなかったという。

ところが多数決で行くことが決まり、女の子も仕方がなくそれに従ったのだが、宿題だけはやらなかったらしい。そのことでその子は仲間たちから非難されることになったが、最後まで謝らなかったという。

この件に関して、相談員たちはどうだったかといえば、彼女のことを強くは叱らなかったという。むしろ、仲間たち全員に逆らってまで自分の意思を貫いた女の子のことを、感心すらしていた。

「おまえのために、みんなが迷惑したんだ。みんなに謝れ」
学校の先生だったら、こういった場面では口にするであろう言葉が、相談員から出なかったことに、私は新鮮な驚きを感じていた。

素直な子もいれば、我を通す子もいる。動作の速い子もいれば、遅い子もいる。勉強が得意な子も不得意な子も存在する。
それぞれの子どもの個性を認めて、それを伸ばす教育を、親や教師が実行できたら、どれだけ大勢の子どもたちが生き生きと暮らせることだろう。落ちこぼれや不登校、校内暴力もなくなるに違いないと思った。

6月中旬、私は、初めての授業参観に出席するためにダイダラボッチを訪問した。日帰りは時間的に不可能だったので、前日に着くようにし、担任のT先生に個人面談をお願いしておいた。

土曜日だったので授業は午前中で終わり、私が学校に着いたときは、雄一は山間の校庭で、部活のテニスを楽しんでいた。部員数が少ないために、順番もすぐ回ってきて、雄一はその時は3度に1度しかボールをコートに打ち返せなかったが、練習を続けていれば上達が予想できた。

すっかりその場所に溶け込んでいる雄一を見て、雄一は美しい自然の中で暮らすほうが幸福ではないかと、ふと思った。1年後に東京に戻って来て、雄一の心を動かしたり、満たしたりするもが果たしてあるのだろうか、と心配にもなった。

T先生との面談ではそれまでのこと(特に、勉強が遅れていること)を正直に打ち明けた。先生からは、現在のところ、勉強の遅れはないと聞かされ、山村留学中の1年は勉強はどうでもいいと思ってはいたものの、ほっとした。

先生に雄一のことをお願いし、部活が終るのを待って、一緒に校門を出た。2人で山道を歩きながら、雄一から、その道によくタヌキが出現すること、ちょうど1週間ほど前、車に轢かれて死んだタヌキをダイラボッチに持ち帰り、相談員のGと子どもたちで解剖したことを聞いた。Gは絵や彫刻や焼き物等の美術関係以外にも、運動や音楽、料理にも精通している青年で、雄一も慕っている様子が感じられた。


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