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母と子の関係 [介護日記]

昨日の母の入院に際しては、朝8時半に家を出て、夜の8時半に帰宅するまで、丸1日、病院で付き添うことになった。
今回の入院は、骨と皮ばかりになった母のことが心配で、私が半ば強引に検査入院を勧めたのだが、病院に着くやいなや、母の気持ちを煩わせることがあった。
病院側は、4人部屋のベッドを空けて待っていてくれるとのことだったが、最初に案内されたのは個室で、そこでしばらく待つように言われた。30分と、立ったり座ったりの姿勢を維持できない母は、一刻も早く自分の病室に落ち着きたいようだったが、容易に叶わず、結局、病室が決まったのは5時半だった。
さらに、母の不安を煽ったものがあった。主治医が仮の病室にやって来て、母と私を前に、「お年寄りは、かなりしっかりしている方でも、入院を機に痴呆が出てくることがあるので、その場合は、ベッドにくくりつけることもありえますけど、それは了承してもらえますか」と言ったのだ。加えて、「容態が急変した場合は、延命処置はどうしますか」と畳み掛けた。
最近は、病院側の責任が追及されることが多くなっているから、病院側も神経質になっているのかもしれないが、私は本人の前で言う言葉ではないと思った。

そうでなくても、入院に対して不安でたまらない(一番の不安は、補聴器をつけていても耳が遠いため、医師や看護士の言葉が聞こえず、コミュニケーションがとれないこと。この件に対しては、事前に説明しておいても、これまで入院したどの病院でも芳しい結果は得られなかった)母が、医師のこの言葉を聞いて、さらに不安になったのは確かだった。もしかしたら、自分も惚けてしまうかもしれない、さらに具合が悪くなったらどうしようと、悪いことばかりを考えたに違いない。
もともと、私は丸一日、病院で母に付き添うつもりでいたが、部屋のこと、医師の話を聞いてからは、なおその気持ちが強くなった。
そんな私に対して、母は「いつも、いつも負担ばかりかけてしまって」と、何回も謝まり続けていた。

心配性の母と、くよくよ考えない私と、他人に必要以上に気を遣う母と、他人の目はほとんど気しない私とでは、人やものに対する考え方も自ずと違うから、葛藤もままあった。特に、去年、母が具合が悪くなってからは、いろいろな場面でそれが強く現れ、きつく感じることも多かった(母も私に対して、同様のものを感じていたと思うが)。
それでも、私が母からも周囲からも母にやさしいと言われるのは、性格の違いは違いとして、これまで母からそれだけの愛情を注いでもらったからだ。
母の自分史でも、これから書いていくことになるが、父が亡くなってから母は私を含めた子どもたちのためにだけ生きてきた。私たち姉弟はどれだけ大きくて深い愛情を母からもらったかわからない。母はそのことを恩に着せたこともないし、全く覚えてもいないようだけど、私にとっては忘れようにも忘れられないことだった。
母が自分のことしか考えないわがままな人だったら、おそらく私は今のように母にやさしくは出来なかったと思う。

親が子どもを大切に思うのは当たり前だと言われているけど、今は、当たり前のことが当たり前でなくなってきている。
前にちらっとS君のことを書いたけど、S君の母親はS君のことを少しも大切にしていなかった。S君の母親がS君のことを思いやる心の余裕がなかったと言ってしまえばそれまでだが、それにしてはひどすぎた。なのに、小学1年のS君は母親のことをいつもかばって、やさしくしていた。

親が全く親らしいことをしない場合には、子どもは、親子の呪縛を断ち切ったり、親を見限ることも、ときには必要なのではないかと、私は思う。


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