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息子の山村留学(5) [私の子育て ]

ダイダラボッチに到着すると、私はすぐにタンスの整理を始めた。すると、引き出しから汚れた衣類や靴下類がどっさり出てきて、「あら、あら」と思わず声を出してしまった。
学校のワイシャツなどは1週間は取り替えていないようすで、襟の部分は真っ黒だった。手紙や電話で、下着を毎日取り替えることや、夜の歯磨きについては何度も注意していたのだが、聞き流していたようだ。

整理整頓が苦手なのは相変わらずだと思ったが、授業参観に出席のため、そこを訪れていた他の母親たちも似たりよったりの状況で、離れの風呂場にある5台の洗濯機は母親たちによって占拠されフル回転だった。洗濯当番も決められてはいたのだが、そこは子どもたちのすること、行き届かないのは仕方がないわね、と苦笑しあった。

子どもたちが寝静まった夜遅く、Kと相談員たちを囲み、定例の茶話会が開かれた。私はその場所ではいつも反省させられることばかりだった。よいことではないと思いつつ、長女の陽子や雄一を、現在の社会の枠の中で育てようとする狭い了見の私とは違って、そこの母親たちは、学校の勉強よりも何よりも生活を第一に考える人たちだった。今の教育制度の中で、子どもたちにとって何が大切なのかをおさえている人たちだった。

ダイダラボッチの子どもたちの母親代わり、Kさんも信頼できる人だった。いつも静かでやさしく、時々体を壊すほど多忙を極めていたが、大声で子どもを叱ったり、せかしたりすることは決してしなかった。
音楽や演劇を好み、それらに触れる機会を数多く提供してくれるMさんも、また、釣りの名人で信州大学を卒業し、将来は高名な物理学者と噂されているSさんも、前述のGさんと同じように、子どもたちにとっては尊敬できる大人だった。そして、この4人の存在が、雄一を安心してダイダラボッチに預けられる最大の要因になっていた。

翌日の授業参観の科目は社会だった。アフリカのガーナについて学習した感想を、各自が発表するという授業だった。雄一は、「ガーナはカカオがいっぱい取れるのに、ガーナの子どもたちはチョコレートを食べることが出来なくてかわいそうだと思います」と冒頭で自分の意見を述べ、数行の宿題に対してノート1ページ分を発表した。

雄一がそれだけの分量を、強制もされずに自発的にノートに書いたことに、私はすっかり感動してしまった。雄一のやる気がうれしかった。しかし、教室内を見回すと雄一に限らず、生徒全員やる気を見せていた。教えられることをただ聞くだけの受け身の授業ではなく、生徒が均等に機会を与えられる参加型の授業だったからだ。
東京の40人学級では、雄一に発言するチャンスはなかった。先生に存在を認められていることが、何にも増して励みになっているようだった。

授業参観が午後3時に終了するとすぐに、飯田発5時の新宿行きの高速バスに乗るために学校を後にした。私も雄一もサバサバと別れの挨拶を交わしたが、車窓の人となった私は、窓の外の暗がりの中に雄一の面影だけを描き続けていた。

夏休みも間近に迫ったある日、音信の途絶えていた雄一から電話があった。
「こっちにいても何もおもしろいことはないし、つまらない」
雄一の初めての泣き言だった。理由を尋ねたが言いたくないという。

私は電話口で懸命に雄一を励まし、雄一の気持ちを何とか引き立てようと試みた。ところが、受話器を置くと急に心が乱され、今さらのように長野と東京の距離を感じて、雄一の力になれない自分がもどかしくてたまらなかった。

雄一のことを思い、遅くまで寝つかれない私に夫が声をかけた。
「楽しいことばかりじゃない。そういう経験もさせたくて山村留学に出したんじゃないのか」
夫の言葉でハッと目が覚めた。いつも手を差し延べて助けてやることだけが親の愛情ではない。雄一が困難に立ち向かい、克服する過程を辛抱強く見守ることも必要だと思い直した。

その1週間後、再び、雄一からコレクトコールが入った。臨海学校で鳥羽に行き、その楽しかったさまを報告する電話だった。ついこの間の元気のなさはどこへやらと疑うほど、雄一の声は弾んでいた。
「そう、よかったわね。お母さんも、そんないい所なら行ってみたい。いつか絶対に家族みんなで行こうね」
雄一と約束しながら、私の心は霧が晴れるように明るくなっていた。

だいぶ後になって聞かされたことだが、その頃の雄一は、泰阜南中学校で、「東京っ子」と呼ばれ、よそ者扱いにされていたらしい。ダイダラボッチの子どもたちは、程度の差こそ同じような経験をするらしかったが、雄一なりに苦しんだ結果、T先生に訴え、ホームルームで話し合って解決できたという。自分の力で解決したことは、雄一にとって大きな自信になったようだ。


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