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放送大学 [私のこと]

放送大学の10月入学生の募集が始まっている。募集期間は8月15日までとなっている。

家庭の事情で、行きたくても大学に行けなかった私は、いつかは大学に行きたいと思っていた。6年半前、教育情報誌の編集記者の仕事をやめたとき、仲のよい友だちが放送大学に在学していたこともあり、ワクワクしながら入学した。

私の場合は、大学の卒業資格を得るためというより、とにかく大学生になって勉強したい思いが強かったので、4年間は一生懸命に勉強した。その間は、別の仕事をしたりして、夜しか勉強時間が取れないこともあったが、教科書だけは必ず開き予習や復習に励んだ。

テスト前になると、テレビやラジオで聞き漏らした科目を勉強するために、茗荷谷にある学習センターにも足繁く通った。そこに行くと、老若男女たくさんの人たちがテレビやラジオを前にイヤホンをつけて真剣に勉強しているのだが、私はその雰囲気が好きだった。

勉強が大変でなかったといえば嘘になるし、自分で選んだ科目とはいえ、講師陣の中には眠たくなるほど授業が退屈な先生もいないわけではなかったが、総じて、先生の質は高く、講義内容も充実していた。

私は「発達と教育」が専攻だったので、教育と心理学関係の教科が多かったが、それ以外にも哲学や文学、福祉、政治、英語、体育、経済や文化人類学など、多岐にわたって勉強した。

放送大学に行って一番役に立ったと思ったことは、以前に比べると教養がついて、自分の立っている位置がわかるようになったことだ。そうなると、物事や 他人に対する距離のとり方もわかってくる。

ところで、教養を辞書で調べても今ひとつピンとこないのだが、(私流に解釈すれば)教養とは、物事や事柄(例えば、マスコミの報道など)に対して、表面に出ていることだけを真に受けて、ああだ、こうだと判断するのではなくて、「本当にそうなのかな。別の見方もあるのではないかな」と考えることだと思うのだが、その際の自分の思考の拠り所になる知識のことだという気がする。

教養以外に私にはもう一つ役にたっていることがある。それは、放送大学在学中に、むずかしい本を読むことに慣れたおかげで、昨年は、塾で中学受験の国語を教えられるようになったし、今年は大学浪人生に現代文を教えられるようになったことだ。

大学受験の現代文はまさしく教養ともいえるものだから、生徒と共に学びながら、まだまだ足りない教養を深めていくことに日々努力している。

手段としての勉強や、強制的にさせられる勉強は苦痛かもしれないが、自分で進んでやる勉強というのは結構おもしろいものだ。
今後もずっと勉強を続けていきたいと思っている。

ここで私は、放送大学を不登校や引きこもりや、ニートの若者たちに勧めたいと思う。自分たちが今どうしてその場所にいるのか、世間で言われているように自分たちは責められなければならない存在なのか、本当に考えなければならないのは大人たちのほうではないか等々――放送大学で勉強したらいろいろなことが見えてくると思う。

ちなみに、放送大学は高校卒業資格をもっていなくても、規定の8科目を履修すれば入学することができる。自分の好みの科目を選べるし、科目数も自由に選べるし、学習センターにはいつでも行けるし、充実した生活ができると思う。
そして何よりも、大学生という身分を確保することは、肉体的にも精神的にもいいのではないかと思う。


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コメント 6

Lily

初めまして Lilyです。
前向きのちいととさんに感動です。
八十五歳の父が4月から科目履修生のドイツ語を取って
29日試験です。
放送大学は、普通の大学のように管理されていないので
自分で自分を管理しなければならないので、
大変ですね。

少しずつの積み重ねがいわゆる「教養」となって
身につくのだと思います。
by Lily (2006-07-22 13:49) 

ちいとと

Lilyさん、コメントありがとうございます。
お父様、ステキですね。私もお父様を見習って、いくつになっても学ぶことに楽しみを見つけられる自分でありたいと思います。勉強している限り、心はいつも若くいられるというメリットもありますし……。

そういえば、今は試験の時期でしたね。選択問題がほとんどだと思いますが、理解してないと点は取れないのでなかなか大変だと思います。私は半期で8科目ぐらい取っていたので、かなりハードでした。
お父様もがんばっていらっしゃることと思います。

放送大学は、管理されてないところが魅力だと思います。それだけに、先生方も権威的ではなくて、社会的に弱い立場にある人に対して、温かい目をもっているように感じられました。
スクーリングの時も、「うん、うん、私もそう思う」というように、共感できる部分が多かったです。

放送大学の回し者ではありませんが、たくさんの人が放送大学に行くといいと思っています。
by ちいとと (2006-07-23 23:13) 

Haruka

「老いの悲しさ」で探したら、ちいととさんに当たり、私の老いの悲しさを忘れました。 本当に、立派な人生をお送りですね。 私はちいととさんと同世代です。やる事があるなんてほんとに素晴らしいことだと思います。夢こそ全てです。夢を追いまわしてください。
私は来年で会社は辞めるつもりです。 私の老いの悲しみの本質も追求してみたいものの一つです。 もう少しまとまったら再度記載します。
by Haruka (2006-09-21 19:32) 

ちいとと

つい先日、新聞を読んでいたら、吉本隆明さんの「老人とはしようと思ったことと実際にできることが隔たった存在で、人間じゃあない『超人間』だと理解する」という言葉に出会いました。
だとしたら、今のうちから出来ないことをたくさん持っていたほうが、その時になって落ち込みが少ないかもしれませんね。

Harukaさんはお仕事、ずっと続けてこられたのでしょうね。私は夢を見るばかりで、あっちにふらふら、こっちにふらふらだったので、Harukaさんのような方に接すると、心底からすごいなと感心してしまいます。

それでも、私はこれからも足元を固めつつ、夢は追いかけていきたいと思っています。
コメント、ありがとうございました。
by ちいとと (2006-09-23 00:20) 

Haruka

私は子供の時から老人?
「老人とはしようと思ったことと実際にできることが隔たった存在」との吉本さんの表現、納得するし、納得もしかねますね。 私は子供のときから夢を追ってきて、それに到達していない。 今も夢を追っている。 もし、老人が吉本さんの言うものであれば、私は昔から老人で、老齢化することに悲しみは無いかもしれない。
私の老いの悲しみはこの楽しい現世に留まる時間が少なくなることのように思います。 また、夢を持つことができなくなること、のようにも思えます。---これは年をとらないと分からない。
むかし、高樹のぶ子さんが「むねの振り子」に従い行動し、結婚し離婚し、小説も書いてきたと日経に書いていましたが、ちいととさんの「ふらふら」もそれはそれで素晴らしいことと思います。
私は色んな知人・友人がいます。奥さんが約20歳年上の名誉教授もいる---結婚して30年以上で離婚もしていない。 また結婚して離婚してまた同居している友もいる。 工学の上の - は天=目標、下の - は地=現状で、工学とは地(現状)から天(目標)に繋がる道を作ることを表しているとの話があります。 確かに、何か夢・目標があってそれにひたむきに進むのも美しいものだと思います。
この世に留まることは不可能ですが、老いも他人から見ると悲しいが、本人にとってはそれほど悲しいものではないのでは、とも思います。 吉本さんの話は吉本さんの趣旨とは逆ですが、私には自信を与えてくれる文です。
教えてくれて、ありがとうございます。
by Haruka (2006-09-23 12:12) 

ちいとと

体がどんどん言うことを利かなくなるのは仕方がないにしても、私の老いの目標は心だけはどこでも自由に飛んでいけるようでありたいと思っています。
高樹のぶ子さんの本は2冊しか読んでいませんが、だいぶ昔に読んだ「光抱く友よ」はいまだに印象に残っている作品です。自分の気持ちに素直に生きている方という気がします。確か、私たちと同世代でしたよね。

夢に関しては、今の現実から目標に向かっているときが、私は一番楽しいです。小さな目標が叶えられたとき、それは想像していたものと違うことがままありますが、ニーチェ(?)の言葉ではありませんが「そういうことだったのか。ではもう一度」と思って仕切り直す。人生ってそんなものかな、と思っています。

いずれにしても、まだ老人ではない私たちは、そのときにならなくては本当の老人の気持ちはわからないのかもしれませんね。
by ちいとと (2006-09-23 13:52) 

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