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落ちこぼれの中学受験 [私の子育て ]

かって、息子が勉強ができなすぎて、私が少なからず悩んだことは前に書いたが、それからどうしたのかを、当時の記憶を掘り起こしながら書いてみたいと思う。

小学5年の終わり頃のことだった。毎日、勉強を見ていても息子の成績は一向に上がらず、母親としての私は出口が見つからずに煮詰まっていた。そんな折に、中学1年が終わりかけていた娘が進学塾に通うことになり(娘の周囲の友だちは中1のはじめから通っていたので、追いつくのが大変だったが)、塾長に息子のことも相談したら中学受験を勧められた。
「出来ない子ほど、早く手を打たないと大変なことになりますよ」という理由からだった。中学受験なら高校で同じ学校に入るよりはるかに入りやすく、偏差値も10程度低くても入れるという。塾長に言われるまでもなく、たとえ私が毎日勉強を見ても、このまま進めば、息子は高校受験も危ないと思っていたから、私は塾長の言葉に乗ることにした。いくら勉強が出来なくても、親としては「せめて、高校だけは」という思いが強かったからだ。

頭の中では、建てたばかりの家のローンと、2人分の塾の月謝をどう捻出するかも重大問題だったが、当時自宅でやっていた私の仕事を増やすことでなんとか乗り切ろうと思った。
それからが大変だった。学校の勉強についていけない息子に、塾の勉強がわかるはずもなく、学校の勉強は教えられても、受験の算数になるとおいそれとは教えられず、息子が学校に行っている間、私は中学受験の参考書と首っ引きで問題と格闘することになった。

息子が帰って来ると、さあ、勉強ということになるのだが、もともと気が乗らない息子に、「今、勉強しておかないと、将来は新宿の公園で寝ているホームレスみたいになちゃうよ」などと脅しながら(今から考えればひどいことを言ったものと思うが)、息子を勉強へと駆り立てていた。
息子は勉強など少しもしたくなかったのだが、しないと私に見捨てられると思って、それが怖くて、2時間でも3時間でも私と一緒に机に向かっていたのだと思う。
息子にかける時間は、当然、私の仕事の時間を奪うことになるから、夜遅くまでかかって仕事をこなすことも多くなった。

そんな毎日が8ヶ月位続いただろうか。私は精神的にも肉体的にもくたくたになっていた。息子とは毎日親子喧嘩が繰り返され(大体は、息子が私の言い方が気に入らないと言って、怒ることから始まるのだが)、その度に息子が私に謝って終わっていたのだが、「謝らなくてもいいから、もっとやる気になってよ。わかるようになってよ」というのが私の本音だった。
秋も深まったある日のこと、やる気もない、教えても教えてもこぼれていくばかりの息子に苛立ち、「もう、お母さんは、あんたのことなんか知らないから」と言って、息子を置き、買い物に出かけてしまった。かなり腹を立てていたので、本当は家計を抑えなければならない時期だったのだが、本当に久し振りに自分の洋服を買って帰って来た。

息子はこたつにすっぽりと入って眠ってしまっていた。見ると、息子の顔には涙のあとがあった。そして、テーブルの上に置かれた一枚の紙切れ。そこに書かれた息子の文字を見て、私は大きな衝撃を受けた。息子の心の痛みが私の心に突き刺さったからだ。

たった一言、「つまらない」と書いてあった。それを見たとき、私はそれが今、息子が置かれている状況のすべてだと思った。このまま、受験勉強を続けていたら、息子はずっと「つまらない」という感情を抱き続けたまま、大人になってしまう。今も、これからも息子の人生をつまらないものにしてはいけないと思った。
翌日、私は塾長に息子を退塾させる旨を伝えに行った。塾長も息子のことはお荷物だったのだろう。あっさりと、それを了承した。

だが、塾をやめたからといって、それで息子の問題が解決したわけではなかった。「自分は何をやってもだめな子なんだ」という息子の気持ちを変えたかったし、何か一つでもいいから自信をもてるものを持ってほしかった。

続きは、また機会を見て書いていきます。
息子のことを書く気になったのは、今、うつ病の母がこの時の息子と同じ状態だからかもしれません。でも、私は息子のときとと同じようには母に接していません。母が「自分はだめな人間なんだ」と思わない日が訪れるのを祈りながら。


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